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海獣 翠玉色の島「台湾」へ
  感謝と、愛をこめて《その2》

さて、いよいよ登壇という時。……思いもよらなかったことが…。

「それでは皆さん、岡野先生をお呼びしましょう。」の声に、ステージの下に集まっていたサインを待つファンの皆さんたちと、司会者が声を合わせて、

「岡野先生、愛してる〜〜!!」「岡野先生、頑張って〜〜!!」
の大声援がっ…!

ぶほほほほほほ。

もちろん、私はステージからズリコケそうになりました!!
(そんなこと、言われたことないので、免疫がなかった!!)

さ、さて、私は手首の痛みも、ズリこけそうな恥ずかしさも平静を装って、ステージ中央に着座して、サインを始めたのです。そしてサインの間じゅう、待っているファンの皆さんからは大声援が続いたのです。

手首の暴走を案じながら慎重に最初の方からサインを始めると、それは、自分でも信じられないくらい、不思議なことに、綺麗な宛名とサインが書けたのです。次の方も、その次の方も。

ホテルでのサインとは見違えるようです。

ファンの皆さんからは大声援の中、100人すべての方、バッチリ! 綺麗なサインで終了出来たのです。

それは、私にとっては奇跡でした。ホテルを出たときは、100人も、書き終えることなんて出来そうにないと、観念していましたから。

無事に綺麗に書けるのは、ステージの下からの100人の応援のおかげだと、サインの間感じていました。

それは、少し前、ホテルの部屋でたった一人で、壊れた手で暴走した35枚のサインの経験があたからこそ、身に沁みてわかる、愛の声援の威力でした。

サインの後、特別室で報道陣の女性たちからインタビューを受けました。私は早速彼女たちに、

「サイン会でステージに上がって、皆さんが一斉に「岡野先生、愛してる〜〜!!」「岡野先生、頑張って〜〜!!」とコールしてくれた時は、ステージからズリこけそうになりましたよ!」と伝えると、全員声を揃えて、 「どうして?好きな人には、愛してるって、言いたいじゃない?がんばってって!好きな人は応援したいじゃない!日本では言わないの?」と。

それは、とっても自然でピュアな言葉で、わたしはただ、その純粋さに打たれてしまいました。

その後、これも日本のインタビューでは体験したことがない、作品のことは側に置いといて、みんなで膝を寄せ合って、ワクワクしながら、報道陣の皆さんと楽しいガールズトークに花が咲いたのです。

100年幸福

台湾の方々との触れ合いは、仕事とか、組織とか、形式を超えていて、それがとっても自然なのですね。日本の、仕事や形にとらわれた、生き方応じ方に慣れてしまっていた私など、2011年2月当時は、いくら『イナンナ』を描いた後でも、心で応じるのに、まだ、間が必要でした。

(当時『イナンナ』で描いていたベリーダンスとは、そういう、人体に知らず知らずのうちにかかってしまっているブロックの一つ一つを解いていって、心と細胞のひとつひとつの記憶を解放し、自在に身体を動かして踊る、生きることの喜び、命の賛歌の踊りのことでした。)

そして特筆するのは、台湾の男性陣の心遣いと優しさです。2006年の訪台の折、アテンドでお世話になった男性スタッフが、お別れの時にくださった真綿で包むような、なんとも言えない柔らかい握手。それにはとても感動しました。そんな繊細な握手を日本でも他の国でも、体験したことはありませんでした。

それは、きっと、台湾のお国柄ゆえの心遣いなのだと。それは、時を経ても忘れられなくて、2011年のサイン会にいらした男性ファンたちの何人かの方から、同じ真綿で包むような握手をいただいた時、とてもほっとしていました。よかった、世界的に合理性を求める時代にも、失われずに、こんな握手が交わされるなんて、凄い国です。この感性がずっと守られるといいなあと、密かに思い、祈りながら、サインをしていました。

それぞれに短い時間、短い会話が交わされました。覚えている会話は数少ないですが、私にとっても、奇跡的なサイン会もその後の皆で和んだインタビューも、心に残る時間でした。

そして、帰国直前の台北空港で、空港のアナウンス嬢の「日本からの飛行機の到着が、遅れちゃったから、搭乗時間が遅れます。」の放送に、私の♥ハートはどっと陥落…台湾、愛くるし過ぎます。

続きます。